洛南高等学校 バスケットボール部

23年08月14日

【潜入ルポ】2023年夏 下呂合宿②

下呂合宿潜入ルポ第二弾です。

このたびの潜入取材班のお一人、洛南バスケ部OB 古川和彦さん(1986年度卒)に下呂合宿の思い出を伺いました!

 

 

 

《取材班》

古川さんの当時の下呂合宿の思い出をお聞かせ願えますか?

 

《古川さん》

当時の下呂合宿は「地獄の合宿」のイメージが強く、インターハイが終わった直後に現地から下呂に直行して、

宿は公民館でした。で、その宿舎が斜面に建てられており、洗濯のために建物の下まで降りて行くとそこには

墓地があって、真夜中まで墓地の横でひたすらグルグルと洗濯機を回していました。今は宿泊先の環境も全然

違うでしょうけどね(笑)

食事は朝昼晩と宿舎から体育館までの道中にある定食屋。ヘトヘトで食事を胃が受け付けずで・・・、でも

食べないといけないし、本当に地獄の下呂でした(苦笑)

唯一、南波先生(洛南の礎を築いた初代コーチ)がコート上で皆に真剣な話をされている時、どこからともなく

ひらひらとアゲハ蝶が飛んできて、ちょうどいい具合に先生の頭頂部に止まり・・・、

それを作本先生が肩を震わせて必死に笑いを堪えていたのを見て、もう僕らも吹き出すのを我慢できなくて・・・。

地獄の練習の中で「リアル髪飾り」に癒されたひと時でした(笑)

合宿は苦しかったですけど、いい意味で、やっぱりどうしても忘れられない記憶ですね。

 

《取材班》

確かにお昼にガッツリのカツ丼が出てきたりしてました・・・(笑)

食事のありがたさを感じつつ、食べ物を咀嚼する力が残ってなかったです(苦笑)。

さて、今回の下呂合宿を見られて印象はいかがでしたか?

 

《古川さん》

数時間の滞在でしたけども、生徒が先生の話しに真剣に耳を傾け、みんなで声を出し合って

いてウィンターカップに向けての意気込みを感じました!この合宿を通じて何かを感じ、

個人の力とチームの力は確実に高まっていくと思います。

 

《取材班》

そうですよね。私も逞しさを感じました。

岐阜農林高校さんは今回も共に練習マッチを重ねるなど

すごく協力してくださいましたが、古川さんは岐阜農林さんとの思い出はありますか?

 

《古川さん》

まずは、今回は岐阜農林さんには下呂合宿にご協力をいただき感謝を申し上げたいです。

私の時代からよきライバルであり、本当に仲が良かったですね。

当時のコーチである南波先生から、農林で一学年下のセンターだった福手選手を「古川、お前が教えろ」

と言われ、休み時間中でも色々とアドバイスした記憶があり、荒井強平先生(当時の岐阜農林コーチ)から

も感謝された事や、大学に行って一緒になった農林出身の一学年上の田口さん、一学年下の若松さんなど

交友関係も増えましたね。

その中でも一番の農林さんとの思い出は、1986年の選抜の時、能代との決戦前日に対戦した農林の選手みんな

から能代に対しての戦略や「洛南なら能代に勝てる!」って言われて俄然やる気、勝つ気持ちになったこと

ですね。今でもこうやってライバル校同士が切磋琢磨しているのは素晴らしいことだと思います。

 

《取材班》

その能代戦は私は会場で応援側でしたが、洛南への声援がとにかくすごかったです。勝利の後、

私も岐阜農林の選手と抱き合ってましたから(笑)

 

《古川さん》

洛南の名勝負は色々あると思うけど、あの試合はお互いにすごい試合をしたなと思っています。

そういう試合ができるようにOBとしても応援していかないとですね。

 

《取材班》

はい、OBも一致団結、皆で応援していきましょう!古川さん、本日はありがとうございました。

 

《古川さん》

いえこちらこそありがとうございました。

 

《OBのご紹介》

古川和彦さん(1986年度卒)

洛南高校⇒日本大学⇒JBL 東芝RED Thunders所属後、春日野クラブにて全国クラブ選手権を優勝し現役引退

現在、洛南高校バスケットボール部OB会広報委員長

№6が古川和彦さん

 

《取材班の独り言》

1985年、当時1年生だった私たちは、夜、某宿泊先の屋上で練習着を干しながら、

山の稜線の向こうに見える星を指さして

「あの星の下あたりが京都かなあ…」「いや、そっちとちゃうであっちやで…」とか

「ところで、あと何日いなアカンのやったっけ…」とか

泣き言をもらしたのは内緒の話。でもあの時があるから今がある。心からそう思えます。

思い出も人それぞれですね。                     OB取材班(1987年度卒)